絶望へ手向ける花

ここまで来るのに何年かかったのだろう。4年?5年?10年?わたし達は、ずっと無かったことにされていた地獄についてやっと語るところまで来たのだ。

「平和と平等と権利のための社会運動」の名のもとにわたし達の平和と平等と権利は犠牲にされ、興奮して目を血走らせながら活き活きと前に立つ男達の活動のための人身御供にされた。

「戦争反対、人間殺すな」と叫びながら官邸前へ向けて振り上げるその拳はわたしへ、わたし以外の女性へ振り上げられ続けた。

他人の傷は守られて、わたし達の傷は凶器と揶揄される世界。

 

やっと声を出せる、これはやっと始まった大きな一歩だと希望を見出し滂沱の涙を流したわたしの目に飛び込んで来たのは、加害者達のヒーローごっこに消費されるわたし達の被害であった。

フェミニズムも傷も呪いも尊厳も、都合良く使われて都合悪くなれば容易く棄てられる道具のままだった。

わたし達は、結局消費される。

「バカはわたしの言葉なんか1ミクロンも分からない」と呆然としていたけれど、違った。そうではなかった。バカ共にとって、わたしは未だに意志を持ったひとりの人間ではなかったのだ。だからこそ言葉に耳を傾けない。理解など、心の底からの自省などしない。血なんて流さない。傷付きはしない。だって、ほら、"物"だと思っていれば傷付かないでしょう?

わたしは血塗れでボロボロにされながら、殺されて堪るかと拳を何度も何度も皮膚に爪が喰い込んで流血するまで握り締めて、ここまで這い蹲って生き延びてきた。

お前ら加害者が恐れる自業自得の傷なんか、大したことないんだよ。死ぬ気でやってみろよ、死なないから。わたしはお前らにどんなに踏み潰されても死ななかったでしょう?大爆笑、自分が振るった暴力を思い出して死ぬくらいなら、お願い、さっさと死んでくれ。

 

フェミニズムがブームらしいと踏んで女性の権利を公言した人物が女を物としか認識していないってことを、わたしは知っています。

セクシャルマイノリティの権利を守れと言った人物がゲイフォビアであることを、わたしは知っています。

リベラルを自称しご立派なことを呟けば拡散される社会的地位のある人物が性犯罪者だってことを、わたしは知っています。

わたしは、被害者達は、あなた達が何者なのか知っています。

 

もっと燃え盛ると思っていたら結局この程度だった、あまりにも切実で真実の言葉だから、ビビっちゃったのかな。あなたが尻込みしている背景には地獄に曝され続けている人々が居るのにね、躊躇うという選択があること事態が特権だって、まだ分からないんでしょう。

 

加害者共には端から期待などしていなかった。

けれどもう、わたしは何にも期待しない。

わたしが生き続けなければいけない世界はまだまだちゃんと地獄だったってことが再確認できただけ。

ならばわたしは、何にも期待せずに闘い続けよう。

わたしの眼差しの先に在るのは、思考停止して自己保身と耽溺に必死で縋りつく、呆れるほどに弱い加害者達ではない。

眼差しの先に光るのは、今も暴力に脅え続けているひと。かけられた呪いにより息もできない思いになって膝を抱えているひと。尊厳を踏み躙られているひと。生き地獄ならばいっそのことと、死を選んだひと。傷だらけになりながら声を上げ続けるひと。

そのようなすべての女性達へ、心からの敬意と連帯を。

わたしが祈りを抱くのは、あなた方に対してだ。