ある猫のこと

わたしが夜勤で通っている家にはきょうだいの猫が三匹いる。一匹だけ体が他の二匹より小さく、ずば抜けて賢い。じっと人間を観察していて、その生活サイクルやルーティンを覚えており、決して邪魔にならないように動く。猫という生き物がやりがちなアクシデントも起こさない。それまでどれだけわたしに甘え喉を鳴らしていたとしても、夜眠るときはわたしではなく、飼い主の布団で眠る。誰が主か分かっているのだろう。そういう賢さだ。

そのため、他の猫が人間の邪魔をしたり、呑気に生きているのが腹立たしいらしく、いちばん小さな体で他の二匹のきょうだいによく殴り込みを入れている。しかし反撃されては勝ち目が無いと分かっているのか、殴ってはすぐに逃げる。ヒットエンドランだ。目をまんまるにして、どうしておまえはそんなにもものを考えないのかと今にも話し出しそうにファイティングポーズを構える。

小さき賢猫は、最近、自分の口の届く範囲の毛を毟るという、人間で言うならば自傷行為のようなストレス発散方法を覚えてしまった。体の内側だけを、傷も作らずに産毛だけ残して上手いこと毟っていく。誰よりも色んなことが見えてしまうから、色んなことが遣る瀬無いのだろう。「せっかくふわふわの毛なんだから、勿体ないよ」と薄くなった部分をちょんとつつくと、しまった見つかったというような顔をしてそこを隠してしまう。

わたしは子供の頃から中々卒業できない指しゃぶりに始まり、それが終わると爪噛みと来て(ゆえにいつだって深爪だった)、そして唇の皮を歯で器用に剥いてしまうのは未だに治らない悪癖だ。自傷行為に分類されるものは、抜毛以外大体は通っているかもしれない。それがASD由来のものなのか、機能不全家庭だったからか、そのすべてかは不明だが、今でも気付くと唇の皮を剥いてしまっている。緊張している時でも、リラックスしている時でも。だから、この猫の気持ちが、すこしだけ分かる気がする。やめなさい、とは言えない。どうやったらやめられるのか、分からないもんね。

 

ある夜、その猫がひとりでエキサイトして家中を唸り声をあげて疾走していた。ほかの猫に力では勝てない猫にとって、それは己を鼓舞しパワーを確認する大切な儀式だ。そして珍しく軌道を見誤ったのか、眠っているわたしの顔面に当たってしまった。それまでうおお、と低く咆哮していた声がその瞬間ぴたりと止まり、家はしんと静まり返った。

翌朝、いつもなら起きてきたわたしに尻叩きを執拗に催促するその猫が一向に姿を見せなかった。しばらくするとそっと近くに寄ってきて、こちらに背中を向けて俯いて座っていた。飼い主に怒られている犬を思い出した。怒ってないよと、背中を撫でてあげた。