「私いま好きな子が5人居て」
スマホの画面からふと飛び込んできたその言葉があまりにもしっくりと来た。そして至極当たり前だと感じられた。好きな人なんて、多けりゃ多い方が良いに決まってる。両手を食器用洗剤の泡まみれにしながらそれに気付いて、なんとも身軽な気分になりハミングしながら皿洗いに戻った。気付かぬ内に周到に刷り込まれただけの社会規範を意味だと勘違いして発狂するのはもう御免だし、それに巻き込まれるのにも、もうウンザリしていた。
心がわたしの肉体から剥離し、天井に貼り付いている。
それはアニメなんかでよく見るようなキラキラ光る宝石などではなく、どくどくと蠢く臓物のようだった。触れると、そこから道筋を奔るように、脈打つように光っては消える。真夜中の森の中で人知れず発光する幻のキノコか何かみたいに。臓物から滴る血が、一滴ずつ、わたしの顔を濡らす。
今までどれだけおーい、おーいと呼んでみても戻ってこなかったその心は、いつの間にか少しずつ天井から降下し、わたしの肉体に戻ってきたようだ。全く嬉しくない。わたしが呼んだくせに。なに戻ってきてるんだよ、最悪だ。やっと無に近付けると思ったのに、わたしはまた煩くて下らないクズの阿呆になってしまった。頭をばんばん壁か何かにぶつけられたらスッキリするだろうな。すごく痛いだろうけど、それさえ乗り越えればもう全部終わりにできる。死ぬのは強制的に参加させられていた持久走大会みたいなものなのかもしれないと、霞む視界の中でぼんやりと思った。
小学六年生の冬、誤って転倒してしまい腕を骨折したわたしはそれについて散々母親に責められ詰られ、変質者が多々出没することで有名な道端に夜に置き去りにされた。ギプスを嵌め腕を吊っているわたしの片方の肩は服ごとはだけていて、からっ風が吹きすさぶ田舎の冬の夜は寒さを通り越して痛みを運ぶ。こんなところを変質者に見られたらわたしは真横に広がる田んぼに連れ込まれて犯されるのだろうと分かっていた。実際、この道で変質者に遭遇したことは何度もある。今そんな目に遭っても何もおかしくない。それでも、変質者にレイプされるかもしれない恐怖よりも、庇護者であるべき母親に骨折の責任を糾弾されたことよりも、持久走にもう参加しなくて良いのだという権利を大々的に得られたことに口角が上がりっぱなしだった。わたしを道端に捨てる前に母親が「持久走に参加しなくて良くなるように、骨折しますようにって神様にお祈りしたんだろう」と叫んでいたセリフを思い出し、ああそうさクソッたれハレルヤ!と満天の星空を仰いだ。そう、思い返せば、わたしは子供のころからずっとこんなんだった。
どうせ殺されるなら、わたしはわたしに殺されたい。どうせ首を絞められるなら、わたしはわたし自身の持つ生きにくさによって苦しみたい。誰よりもいちばん長く、ずっと一緒に生きてきた憎たらしく可愛いわたしよ。おまえに比べたら、この世の誰もがぽっと出だ。わたし以外の何にも、わたしの首を絞める、わたしを殺す権利を与えてはいけない。
わたしの体と心はわたしのもの。好きに飾れるし好きに壊せる。