道端の花
「いちばんじゃなければそこら辺の犬とか花と同義だ」と切れ切れになっていた二十歳そこらのわたしを憶えてる。「どうしてそんな楽になれたの」と問われるので、全然楽なんかじゃないよと返す他ない。あなたの愛は、相変わらず世界にフィットしないよ。
「神様にしかできないことを人間が求められても、できないと言うしかないのよ」、かつてのわたしはずっと、人間に対して人ならざる者になってくれと懇願していたのだろう。寂しさの最小単位は一人ではなく二人で、わたしはいつだって一人より誰かと居るときに寂しくて堪らなくなっていた。自分の身体が、皮膚が、わたしとあなたの境界線にしか思えなくて、邪魔で、本当に重たくて仕方がなくて、あなたと溶け合いたかった。もうそうすることでしか誰とも分かり合えないと思った。
わたしはわたしにしかなれないのだという絶望。今思えばあれはきっと、自殺願望としての祈りだったのだろう。わたしは世界で一番わたしのことが許せないから。わたしはわたしを、ずっと完璧に殺し切りたかった。わたしを殺してくれと他者へ欲望しなくなったから、今ここにこうして立っているのだろうか。溶け合ってしまったら、もうあなたに触れることすらできない。
わたしの愛は愛にかぞえてもらえない。
「お前を踏み躙るやつが居たらそいつをぶん殴るためにいつでも飛んで行くよ」みたいなことを大切な人たちによく言うのだが、驚くべきことにわたしはこれを本気で言っている。嘘がつけない障害なのですべてを本気でやっている。それでも、わたしの愛はこの社会ではまだまだずっと異端だ。わからない、わたしはずっとわからない。愛は美しくない、愛と言っておけば美しくなれると思っているお前は気持ち悪い。
好きだと言いながら相手を殴りつけて形を変えようとする行為すらこの世界では恋愛と名付けられる。自己愛と支配欲と独占欲にすらその名前は許される。その儀式の前ではわたしの愛は悔しいほどに無力だ。
暴力に曝された経験がある人は「暴力」という選択肢を内在してしまう。わたしはわたしが怖い、自分が暴力的になることが何よりも怖い。強烈な恐怖が強い暴力を生む。だから、わたしだけを見ていてなんて、全く願えない。
二度とわたしを殺したくない、殺されたくない、あなたはただ、誰のことも殺したくないだけなんでしょう?
そうだね、ずっとそうだったね。
オルタナティブ
「着ている服や権力、資本や名声、そういったものをすべて剥ぎ取られても"私は私だ"と言える人間がきっといちばん強いんだ」と友達が言っていたのをずっと覚えている。だってわたしも心底そうだと思ったから。
その頃のわたしは剥ぎ取られるどころか追い剥ぎ可能なものなど何も手にしておらず、いつでも真っ裸でバッチコイ・イッツミーだった。
それから何年も経て、わたしのこの所謂「普通じゃなさ」には名前があるのだと知り、その名前を知ったことで逆にすこしだけ、「普通」に擬態する術を身に着けた。
朝起きる。服を着る。瞼に付いちゃったマスカラは拭って、鍵をかけて、電車に乗って、おはようございます。なんと、ここまでの道程で一度も発狂していない。わたしは毎朝毎朝わたしを捏ねて、人間の形にする。それを保つ。保ち続ける。
蝶は変態の過程で一度すべて溶けてドロドロになるという。蝶は羽化した後も芋虫だったころの記憶を引き継いでいるらしい。空を、花から花へと飛びながら、ちいさな肢が踏みしめた葉の感触をきっと覚えているのだろう。
わたしがセックスが好きなのは、行為の最中はあまり人間の形を保たなくてもいいからなのかも知れない。人間をやめて、アメーバとか妖怪に近い何かになれる。人間の形を溶かして脱いで、その中で自由に泳いで解放されていく、それが気持ちいい。
だからわたしは、セックスにそれ以外の意味や価値を付与されるのが耐えられない。あらかじめ物語が、役が決められていると、わたしは無理矢理捏ねて創り上げた人間の皮を脱げないのだと知った。わたしを解放するはずだったものがわたしを縛り呪う。
わたしは、服を着ているときのあなたよりも裸のときのあなたの方が好ましく感じる。わたしほど社会とチャンネルが合わない人でなくとも、セックスの最中、相手も人間の形や"世間"に合わせた形を脱いで、それを保つことをやめた瞬間の、その姿や表情が好きだ。やっとあなたの顔が見えたとすら思う。
だからこそ、裸の時とそれ以外の時のその人が別の顔をしているということが、たまに、すこし、分かっていたとしても、受け入れるのが難しい。親しみを感じたはずのあの人はどこへ行ったのだろう?
これは、「普通」の感覚からしたら、病的なことだとまた見做されてしまうのだろうか。わたしにとってはとても自然なことだ。
みんなもっと、気持ち悪くなればいいのに。ちゃんと弱くなればいいのに。そうできる人がいちばん光っていて強いのに。
ぼくらは楽しすぎたから動けなくなった
ああしろこうしろと言われると、咄嗟にその逆の道を行きたくなる。まさかこの歳になってまで、この自分が生き残っていたとは驚いた。
優しさの形式を取って言われた言葉だとしても、そこに相手の欲望を感じ取ってしまうのは、わたしが、わたしだけが、傲慢だからだろうか。支配される、わたしの形が変えられてしまうと感じ、抗いたくて仕方がなくなる。
きみのママがくれたミルク、きみのパパがくれたリボン。
わたしのママがくれたナイフ、わたしのパパがくれた聖書。
かみさま、明日は殴られませんように、アーメン。
毎日酒の入ったマグカップを片手に不愉快そうにテーブルを占領するあの人も、毎晩遅くに帰ってきては暗いリビングで苦痛そうに神さまにお祈りを捧げるあの人も、似たもの同士だったのかもしれないね。
あの家に纏わる悪夢はほとんど見なくなったけど(嘘、最近見ちゃった)、それでも傷や暴力、呪いに対する反射神経はしぶとく残っているようだ。それの正体が一体何なのか理解する前から神経が、肌が、まるで独立した器官かの如く既知の気配を勝手に感じ取り、それが自身の捏造だったとしても絶えず警報を鳴らす。わたしは自分の暴力性が怖い。自分が暴力的になってしまうことが怖い。全てはあの家から始まったって、アニメのキャラクターも言ってたっけ。その子は世界中を壊したくなっちゃった。
好きに生きてる時のわたしがいちばんおもしろいって、知らなかったでしょう。
即席日記
3/3 寒い
今日は雛祭り。雛祭りは女の子が将来結婚できるようにという願いが込められた風習であると知ってから何もめでたくない呪いの儀式なのだと思うようになった。友人が我が子のためにおひな様を出している様をSNSにアップしているのを見るたびに、微笑ましい気持ちと同時に何とも言えないもんにゃりとした気分になる。大人なので黙っている。
昨日届いた日記にドリームシナリオとランタンパレードのことが書いてあって驚いた。ドリームシナリオはずっと観たくて、明日満を持して観る作品であり、そしてランタンパレードも好きなのだ。夏になると狂ったように同じアルバムを繰り返す。
甲州街道はもう夏なのさ、と繰り返す朧な唄声を思い出せば、あの夏、何も無かった空っぽな夏、一体どうやって生きてきたのと、痩せっぽちなからだとそれを俯瞰で見つめる現在のわたしが顕在する。
二日間ほど春爛漫で暖かく、呑気にポカついていたらなんと雪が降った。わたしが仕事へ行く日は決まって雪が降る。雪も呑気に楽しめたらいいのに。天気や朝に、それ以外の意味をもう持たせたくないのだ。
⬛︎
金原ひとみが「自分にご褒美をあげないとやってられない」と言っていて、まさしく今それ、になり、夜勤明け体を引き摺りながらスーパーへ入店、疲弊し尽くした結果あまり動かない頭を更にあまり動かさないよう努めながら欲望の赴くままに海老、うに烏賊、安いサーモンを見つめるがええいままよと高い方のサーモンを買う。ずっと気になっていた冷凍食品の海老焼売も買う。明日も仕事だという日は飲酒をしないようにしているが、知らねー飲むとビールもカゴに入れる。
久しぶりに涼しい。ここ連日が暑すぎたので涼しさへのハードルが下がっている。食べれば消える物に金を遣った罪悪感からか、過酷な帰路を徒歩で帰る。バス代ケチって欲しいものは何ってそりゃ、と勢いに任せて打つが分からない。散じ、少しでもネガティブに繋がりそうな何かを散らそうという計画でしかない。ライフハックとかいう前向きな動力ではない。日々をやる。毎日とヤってる。相変わらず。フリーセックスを楽しんでいたあの頃から変わらずわたしの一番頻度の高いセフレは毎日という繰り返しである。いつだってゆるやかに鬱。
人間に疲れるとラジオすら聞けなくなる、様々なラジオをイヤホン越しに流しては受け付けない脳がうるせえ黙れと叫ぶので自分で作った音楽のプレイリストを選択。母国語ではない音楽のありがたさよ。虫の音はやさしい。風も、それに揺れて鳴る葉の音も。音の奥に隠された卑しさに気付かなくて済むからやさしい。
ある猫のこと
わたしが夜勤で通っている家にはきょうだいの猫が三匹いる。一匹だけ体が他の二匹より小さく、ずば抜けて賢い。じっと人間を観察していて、その生活サイクルやルーティンを覚えており、決して邪魔にならないように動く。猫という生き物がやりがちなアクシデントも起こさない。それまでどれだけわたしに甘え喉を鳴らしていたとしても、夜眠るときはわたしではなく、飼い主の布団で眠る。誰が主か分かっているのだろう。そういう賢さだ。
そのため、他の猫が人間の邪魔をしたり、呑気に生きているのが腹立たしいらしく、いちばん小さな体で他の二匹のきょうだいによく殴り込みを入れている。しかし反撃されては勝ち目が無いと分かっているのか、殴ってはすぐに逃げる。ヒットエンドランだ。目をまんまるにして、どうしておまえはそんなにもものを考えないのかと今にも話し出しそうにファイティングポーズを構える。
小さき賢猫は、最近、自分の口の届く範囲の毛を毟るという、人間で言うならば自傷行為のようなストレス発散方法を覚えてしまった。体の内側だけを、傷も作らずに産毛だけ残して上手いこと毟っていく。誰よりも色んなことが見えてしまうから、色んなことが遣る瀬無いのだろう。「せっかくふわふわの毛なんだから、勿体ないよ」と薄くなった部分をちょんとつつくと、しまった見つかったというような顔をしてそこを隠してしまう。
わたしは子供の頃から中々卒業できない指しゃぶりに始まり、それが終わると爪噛みと来て(ゆえにいつだって深爪だった)、そして唇の皮を歯で器用に剥いてしまうのは未だに治らない悪癖だ。自傷行為に分類されるものは、抜毛以外大体は通っているかもしれない。それがASD由来のものなのか、機能不全家庭だったからか、そのすべてかは不明だが、今でも気付くと唇の皮を剥いてしまっている。緊張している時でも、リラックスしている時でも。だから、この猫の気持ちが、すこしだけ分かる気がする。やめなさい、とは言えない。どうやったらやめられるのか、分からないもんね。
ある夜、その猫がひとりでエキサイトして家中を唸り声をあげて疾走していた。ほかの猫に力では勝てない猫にとって、それは己を鼓舞しパワーを確認する大切な儀式だ。そして珍しく軌道を見誤ったのか、眠っているわたしの顔面に当たってしまった。それまでうおお、と低く咆哮していた声がその瞬間ぴたりと止まり、家はしんと静まり返った。
翌朝、いつもなら起きてきたわたしに尻叩きを執拗に催促するその猫が一向に姿を見せなかった。しばらくするとそっと近くに寄ってきて、こちらに背中を向けて俯いて座っていた。飼い主に怒られている犬を思い出した。怒ってないよと、背中を撫でてあげた。
⬛︎
捨てられてる犬を号泣しながら保護する夢見た。なんかそういう、揺らがない無二のようなものを求めてるのかなとか思って自分の感動ポルノにキモ、という感想。人間に疲れているからね。いいように使われている職場に久しぶりに出勤の朝不正出血。もうああそうですかとしか思わない。耐えられなかったんだね。3シート連続飲みはやっぱり低用量じゃ厳しいものがある。子宮も卵巣も、要るってわたし言いましたっけ?七日で創っただけで偉そうに。言外で話す人間が本当に無理。解釈するな。こういうこと話すと心配されるのも疲れている、いちいち驚いたふりすんなよ、落ち着けよ、だっていつもこんなこと考えてるし、これがわたしの普通です、優しさは有限。哀しいね。