Girls Of Cinema


Girls of Cinema ep.0 /日本語訳
さあ東京、新宿の街。
どうする?
何か映画観る?
観ないよ、観るわけ無いじゃん。
どうしてって思っちゃうよ。
こんなに映画があるのに、東京でかかってる映画はつまんない。
どうして、アジアの女の子の心を写した映画はないんだろう? 
アメリカやヨーロッパの女の子は、やっぱり解放されてて格好良い。
西洋の映画を観る度に、それを実感する。
実際、アジアは異を唱えたりする文化じゃない、同調圧力の文化だよ。
なにかを勝ち取って来た歴史もなくて。
そう言うコンプレックスをくだらないとも思うけれど、だって実際問題遅れているんだよね、西洋の神話は更新されても、東洋は置いてきぼり。
今わたしたちの目の前にある、女の子のための映画は、
女の子を馬鹿にしたような映画ばかり。
それは、女の子の知性を前提にした社会に生きていないから。 
女の子が意見を言うってことは、自殺するってことなんだ。 「我が強い」とか言われるよ。
でも、だって当然だよ我はあるよ、
わたしは、わたしとして生まれて来たんだもの。 
それでも西洋の映画を見ても、そこには自分の心はない。
私たちの社会におけるキスはもっと恥ずかしくて、
男の子を、あんなふうにくどいたりしたら淫乱だ。
どうしても、自立することの後ろめたさがある、儒教社会の抑圧のもとに。 
一体どんな芸術なら、わたしたちの心は満たされるのだろうか。
今こんなに渇望があって、こんなに行く宛がないのに。
アジアでいちばんイケてるってはずの東京には、何もない。 
田舎も東京も変わらなかった、
日本は辺境の土地で、つまんない、つまんない場所ですよ。
もっとはち切れそうなのに、新宿でも渋谷でもいつもダサい。
ほんとうの女の子の心は、絶対に街頭ビジョンに載らないようにできている。
いつまで女の子は男の子のために笑顔で踊り続けるの、
古来の村の掟を守り続けているんだね。
男の子だって、そんな女の子が見たいわけじゃないでしょ?
もう飽き飽きしてるはずだよ、君だって絶対に。 
じぶんのために、踊りたいって願う女の子には、踊る場所がない。
じぶんの命を輝かせたい女の子のステージは、どこなんだろう。
一体どこで輝いたなら、カメラはわたしをおさめてくれるのでしょうか。
つまらない、つまらないよ東京は。
香港も、台湾も、ソウルも北京もきっとつまらないね。
いつも足りない。
いつも足りないアジアの女の子。
どこに命を注げば良いのかわからない、アジアの女の子。
鮮やかに生きてみたいアジアの女の子。
どこで踊れば良いのかわからない、アジアの女の子。
輝きたいのに、暗闇の中でうずくまる、アジアの女の子。 
映画に、わたしたちの孤独を救えるわけがない。
これまで映画が、わたしたちの孤独を、一回でも捉えた事があったのだろうか? 
ー …星々…
でも全員がだめだった、アジアは秘境、
神秘の森の中に生きる女の子の心を、誰一人捉えてこなかった。 
どうして、アジアの女の子の心を写した映画はないんだろう? 
溺れるナイフは60万人を動員し、興収は7億円を突破した。
20代では日本人女性初だって。
でも、そんなの、なんにもなかったなあ。
殴られて、心を殺されて、どうしてあんなことしちゃったのかな。
映画をつくることが闘いでしかないのなら、
きっと女の子は映画をつくると死ぬ。
孤独は深まるばかりで、孤独の遣い道すらない。
女の子と映画は離ればなれになる運命なんだろう。
…さよなら 映画の神様…
もしも、人間の可能性として、
女の子として生まれて、
女の子のままで、映画を撮れないのかな。
この孤独に遣い道があったら良いのにな。
ああ、だれかのために映画を撮りたいな。
願わくば、同じ孤独を生きる、たったひとりの女の子のために。
きっと毎晩同じ夢を見ている、同じ涙を流している、
アジアの女の子のために、わたしは映画を撮りたいな。
そうじゃなかったら、たった今このわたしが、
こんなつまらない場所に生きるわたしが、
映画を撮る意味なんてないんじゃないのかな。
だれでも良いじゃんと思う。
でもね、アジアの女の子のために映画を撮るなら、
絶対にわたしだと思う。
この場所のつまらなさが、誰よりもよくわかります。
21世紀の東京に、わたしが居ます。
映画の神様、わたしを見つけてください。 
みんな面白いって言うんだよ、リアルな女の子の出て来ない映画。
こんなんじゃ、ぜんぜん満たされないの。
わたしがこの街を破壊するところを、カメラよ永遠におさめていてね。 
どうして、アジアの女の子の心を写した映画はないんだろう?
それは、今のわたしたちが作るため、
21世紀を生きるわたしたちが作るためではないのかな? 
映画の女の子
Girls of Cinema, Ū-ki Yamato