自我

最初は嬉しかった言葉も、何回か言われるなかで発せられるパターンを観察したところどうやらわたしはコンテンツにされているみたいだった、コンテンツにされて、その人の気分と自己への免罪符として賞賛とそれをゼロに還す正反対の言葉が繰り返される、こういう人にはわたしの話す言語は一向に通じないのだと分かった。
大体みんなつまらなくて、大体みんな狡い、感謝とか絆とか気配りとか本当好きだね、わたしは嫌いです。本気でそれやってるつもりなら、見返りなんて求めてんじゃねえよバカ。これは私のエゴですって言えよタコ。それすら自称することも出来ないくせに、他者に同じ土俵を強要してんじゃねえよボケ。自分自身のことを突き詰めて考えなくても今まで生きていられて、精神が本当に愚鈍で愚鈍で愚鈍すぎて、タフですねえ。その世界、全く分かりたくないです。

誰かと眠るときに腕枕をされるのは首が痛くなるから嫌いでわたしは大の字で眠るのが好き、セックスの後にピロートークなんて要らないから煙草を吸わせて欲しい、本当に好きなものや大切なことはあなたは分からなくていいわたしだけが分かっていればそれでいい、わたしはずっとずっとそうだったのに、すこし前から恋人になったひととはくっついて眠っても全然嫌じゃなかった、人とくっついて眠ることが心地好く感じられることは久しぶりだった、そのひとはわたしに煙草を吸わせてくれるし(わたしはずっと昔からわたしに煙草を吸わせてくれる人が好き)、本当に好きなものや大切なことを教えても彼はそれらを決して踏みにじらない。自我を殺さなくても一緒に居られる関係なんて初めてで、ああもうわたしは楽しかったら笑って、哀しかったら泣いてもいいのだ、今までの楽しかったこと哀しかったこと全部あげるから、もっとはやく出会いたかった、出会いたかったよ。

気付けば「誰か」と思うことも「助けて」と思うことも「寂しい」と思うこともなくなっていた、みんなみんな寂しそう、わたしは寂しくない、求める対象が何で誰なのか、わたしはもう分かっているから。