分からないんだから死ねばいい、わたしはまだ歩ける

近頃いちばん軽蔑している人間が大森靖子についてツイートしていた、ツイートしている曲はわたしが教えたハンドメイドホームだった、それを見付けた瞬間「死ねよ」という呪詛すら出て来なかった。
大森靖子を、お前が女と繋がる為の常套手段の一部にするな、お前はいつも通り詰まらん薄っぺらい今流行りのシティーポップでも呟いていれば良いじゃないか、いつもそうやってどこかの女ツイッタラーに奇襲かけて秘密にするような花園作ってキッショイ仮想恋愛ごっこして軽薄な自己から目を逸らしてダサく生き延びてきたんでしょ、大森靖子をコンテンツにするな、わたしの最強の名前を、お前のその指で、何をも掴み取ろうとしない、瘴気立ち込める地獄の地べたを這い蹲って生き抜いたこともないその指で打つな。
「一番好きなものなんて、誰にも教えない方がいい」と思い続けて生きて来て、けれども束の間の光になにかを信じたくなって、教えてしまった、束の間の光は蓋を開けてみたら人工灯だった、虚勢と無知と自己憐憫に塗れた、嘘の糞で塗り固められた人工灯だった。
わたしの生肉を踏み潰すことすらせず触ろうともせず誰にも見向きもされない雑踏のなかに放り出したお前が大森靖子を聴くなよ、頼むからやめてくれよ、どうせ何にも、分からないんでしょう?そこに流れる圧倒的な光を放つ地獄も、永遠も、喪失も、尊厳も、強さも弱さも、胸が千切れるほどの幸福も、全部全部分からないんでしょう?分からないからわたしのことを肉ではない物に喩えて、わたしの言葉は全部棄てて、ちゃんと傷付きもしないで、謝罪さえしておけば美化されて逃げられると踏んで、そして寂しくなったらまたわたしを利用出来ると企んだんでしょう。わたしの生肉は嘲笑うくせにわたしが大好きな歌手のことは利用するんだね、反吐が出るよ。
マリアなんて居ないしサンクチュアリなんて存在しないし寂しいのはみんな寂しいんだよ、手前ばかりが弱くて駄目で可哀想なんですか?ちゃんと名前を呼んで家に居させてくれる親の元に産まれて、友達も居て、この身一つ遣って生きたことも無いあなたは、そんなに駄目で可哀想なんですか?甘えてるよねなんて、甘えられる環境に居ることが許され続けてて良いですね、バクワラ。
どうせ音楽が好きなんじゃなくて音楽を聴いてる自分が好きなんだろ。ノーミュージックノーライフって、ノーミュージックでぼーっとしてんじゃん。だったら音楽要らないじゃん。本当にノーミュージックノーライフなら、そのまま死んどけよ。
「この歌手わたしのこと歌ってる」って伝えたものをあんな風に使われるなんて、音楽があったから自殺せずに誰も殺さずに何とかここまで来れたわたしにとって、これ以上の侮辱って無い。
またこうやって、わたしの特別を、何も知らない癖に分かったツラ引っ提げた下品なバカが汚い土足で踏み荒らしていく。

立派に育った不幸が突然わたしの右頬をぶってきた、ちょうど頬張っていた幸せの胡桃が歯を砕いて血を吐いた、最後に負けたら台無しね、闘ったことすら虚しいの、赤い血にふやけた胡桃を噛んでも、鉄の味すらしなかった。
殺した理由を打ち明けた、火サスの犯人飛び降りた、「自己犠牲が美しいうちに泣いて笑ってすればいいわ、その内にわたしみたいにね、怖いものなんてなくなるの」