雪が降っていたのだ


たまには変えてみよう、と思い眠りにつく前に変更したアラーム音で目覚め、異様な身体の怠さと疲労と眠気を感じバイトへ行くことが出来なかった。
わたしは未だに普通に決められた通り働くことが難しくてしょうがない。
こんなんで今度、生きていけるのでしょうか。
「人生はリセット出来ないなんて言われているけれど、出来るんだよ」と友達は言っていた。彼が言うのなら、きっと出来るのだろう。よく分からない社会の言葉より、感覚に信頼をおいている彼の言葉を信じたい、それが普通にバイトへ行けないわたしが手に取れる選択の精一杯だ。

「あなたの呪いが解けて良かった」というようなことを手紙に書く。
呪いは呪いではなく降りつもる雪だ、雪、雪が降っていたのだ、呪いだと思っていたものは光であり、「こっちへ来いよ、楽しいぜ?」と語りかける。
ということが書かれていたのに、どうしてわたしは「解かれた」などと返事をしてしまったのだろう。
どこから、どこまで、惚けるつもりなのだと、やけにカラカラと音の鳴る重い頭を引き摺って今日も何も成さずに帰路へ着く。

生殺しにされていた時期と同じような体調の不良が現れている。
このままの生きかたをしていたら、きっとわたしはいつか限界が訪れ逃げることも出来なくなるのだろう。わたしはやはり、何かひとつの具体的な事象へ向かって走り抜けるようなことが出来ない人間なのだとまざまざと見せつけられてしまった。

頭がふたつあって悩む、それぞれに違う主張をしている、体を真っ二つに分けて、それぞれが違うほうへ行きたい、やっと呪文を見つけ出す、ドロシーがオズでしてきた冒険も全部0へ戻していきます、望みと違う、好みと違う、望みと違う、好みと違う、面白いんじゃない?面白いんじゃない?

水のようだ

わたしの傍らに(いつまでかは不明だが)留まるひとなのか、わたしの身をすり抜けていくだけのひとなのか、その判別が。もう分かってしまう、分かるようになってきた、未だ具現化されていない期待へ胸を膨らませ黄色い声をあげることを、わたしはもうしない。

あれだけ肌を重ねた相手なのに、彼らの顔が思い出せない。声も再現することが出来ない。思い出せるのは、よれていた襟の形とか、頸の骨の具合だけ。どうやらわたしは、視覚で物事を捉えようとしていないらしく、触覚だけはだらしないまま鋭くなる。

ちゃんと人を見ていないのは、わたしも同じだ。

こんなにも、焼き付かすものを持たないわたしはきっと巧くやれるだろう。

「使い捨ての僕の閃きを突き刺して死にたい」

あんなにも、肉体の一部がもがれたような痛みを感じた夜を何度も繰り返したのに、ふと擡げる首を上げて空を見れば雲は薄ピンクに染められ風の先端はまるくなっていた、春だった。

わたしが透明になれば、わたしがわたしじゃなくなれば、いや、わたしがもっと強くなれば、外に出てひとと出会うことが出来る。

透明な銃を放つ自由をまだまだ忘れてしまう、乾いた武器をまだまだ手に出来ていないわたしは新しい季節に怯える。
何かが生まれるときは、いつだって呆れるくらい痛い。

「新作とかもう出なきゃいいのに変わらない」
Wi-Fi飛んでない場所なら帰りたい、隣で寝てくれないのならもう要らない、コンビニで一番高いアイスでエロいことしようよ、やっと創り上げたわたしの世界はまた掻き消されて、昨日のことは憶えていないふりだけ達者になる、使い捨てのわたしの閃きを突き刺して死にたい、護れなかった自分なんて突き刺した順に死ね、アンダーグラウンドは東京にしか無いんだし、サブカルにすらなれなかった音楽のことをあなたは知っていますか?もっともっと、気持ち悪くて、気持ちいい世界があるはずでしょう。



わたしたちは、まだまだ死ねないね



生きてゆく

生きてるって超切なくて、全然おしゃれじゃなくて、ちゃんと痛かった

眼から下を隠せば裸で生きてるってことバレないから楽勝

きみがわたしの居ないところで酷いこと言ってたのちゃんと知ってるよ

わたしの特別は教えない、毎日毎日がギラギラして、瘴気立ち込める地獄のなかで立ち上がって生きてることの美しさをきっときみは知りたくもないのだろうから


本当はもっと綺麗で、愛してて、大好きなものがあったよ

わたしたちは、生きていて、ダンスフロアの光の真ん中に行けないような膝を抱えて暗闇のなかで夜な夜な泣いている

そんなわたしたちが、物にされて、簡単にされて、便利にされて、記号にされて、穴にされて、まわされる

経験あるから大したことないでしょうなんて言われちゃったね、体にいくら触れられても、毎回毎回死ぬ思いで愛するひとを抱いている切実な真実にはずっとずっと触れられない


わたしたちの傷は凶器と揶揄され、知らないひとの傷は守られる世界

ちゃんと生きてる、ちゃんと生きてきたから、痛くて痛くて、自分以外のすべてが愛おしくてたまらない

体の一部がもがれたような痛みを感じたのはわたしだけの子供、わたしはそれの母親

たくさんの痛みを宿し、あるかどうかもわからない光を産むためにまだ死なない

ざまあみろって言うまでまだ死ねない


女達は叫ぶ

わたしはわたしよ、心があるもの

Girls Of Cinema


Girls of Cinema ep.0 /日本語訳
さあ東京、新宿の街。
どうする?
何か映画観る?
観ないよ、観るわけ無いじゃん。
どうしてって思っちゃうよ。
こんなに映画があるのに、東京でかかってる映画はつまんない。
どうして、アジアの女の子の心を写した映画はないんだろう? 
アメリカやヨーロッパの女の子は、やっぱり解放されてて格好良い。
西洋の映画を観る度に、それを実感する。
実際、アジアは異を唱えたりする文化じゃない、同調圧力の文化だよ。
なにかを勝ち取って来た歴史もなくて。
そう言うコンプレックスをくだらないとも思うけれど、だって実際問題遅れているんだよね、西洋の神話は更新されても、東洋は置いてきぼり。
今わたしたちの目の前にある、女の子のための映画は、
女の子を馬鹿にしたような映画ばかり。
それは、女の子の知性を前提にした社会に生きていないから。 
女の子が意見を言うってことは、自殺するってことなんだ。 「我が強い」とか言われるよ。
でも、だって当然だよ我はあるよ、
わたしは、わたしとして生まれて来たんだもの。 
それでも西洋の映画を見ても、そこには自分の心はない。
私たちの社会におけるキスはもっと恥ずかしくて、
男の子を、あんなふうにくどいたりしたら淫乱だ。
どうしても、自立することの後ろめたさがある、儒教社会の抑圧のもとに。 
一体どんな芸術なら、わたしたちの心は満たされるのだろうか。
今こんなに渇望があって、こんなに行く宛がないのに。
アジアでいちばんイケてるってはずの東京には、何もない。 
田舎も東京も変わらなかった、
日本は辺境の土地で、つまんない、つまんない場所ですよ。
もっとはち切れそうなのに、新宿でも渋谷でもいつもダサい。
ほんとうの女の子の心は、絶対に街頭ビジョンに載らないようにできている。
いつまで女の子は男の子のために笑顔で踊り続けるの、
古来の村の掟を守り続けているんだね。
男の子だって、そんな女の子が見たいわけじゃないでしょ?
もう飽き飽きしてるはずだよ、君だって絶対に。 
じぶんのために、踊りたいって願う女の子には、踊る場所がない。
じぶんの命を輝かせたい女の子のステージは、どこなんだろう。
一体どこで輝いたなら、カメラはわたしをおさめてくれるのでしょうか。
つまらない、つまらないよ東京は。
香港も、台湾も、ソウルも北京もきっとつまらないね。
いつも足りない。
いつも足りないアジアの女の子。
どこに命を注げば良いのかわからない、アジアの女の子。
鮮やかに生きてみたいアジアの女の子。
どこで踊れば良いのかわからない、アジアの女の子。
輝きたいのに、暗闇の中でうずくまる、アジアの女の子。 
映画に、わたしたちの孤独を救えるわけがない。
これまで映画が、わたしたちの孤独を、一回でも捉えた事があったのだろうか? 
ー …星々…
でも全員がだめだった、アジアは秘境、
神秘の森の中に生きる女の子の心を、誰一人捉えてこなかった。 
どうして、アジアの女の子の心を写した映画はないんだろう? 
溺れるナイフは60万人を動員し、興収は7億円を突破した。
20代では日本人女性初だって。
でも、そんなの、なんにもなかったなあ。
殴られて、心を殺されて、どうしてあんなことしちゃったのかな。
映画をつくることが闘いでしかないのなら、
きっと女の子は映画をつくると死ぬ。
孤独は深まるばかりで、孤独の遣い道すらない。
女の子と映画は離ればなれになる運命なんだろう。
…さよなら 映画の神様…
もしも、人間の可能性として、
女の子として生まれて、
女の子のままで、映画を撮れないのかな。
この孤独に遣い道があったら良いのにな。
ああ、だれかのために映画を撮りたいな。
願わくば、同じ孤独を生きる、たったひとりの女の子のために。
きっと毎晩同じ夢を見ている、同じ涙を流している、
アジアの女の子のために、わたしは映画を撮りたいな。
そうじゃなかったら、たった今このわたしが、
こんなつまらない場所に生きるわたしが、
映画を撮る意味なんてないんじゃないのかな。
だれでも良いじゃんと思う。
でもね、アジアの女の子のために映画を撮るなら、
絶対にわたしだと思う。
この場所のつまらなさが、誰よりもよくわかります。
21世紀の東京に、わたしが居ます。
映画の神様、わたしを見つけてください。 
みんな面白いって言うんだよ、リアルな女の子の出て来ない映画。
こんなんじゃ、ぜんぜん満たされないの。
わたしがこの街を破壊するところを、カメラよ永遠におさめていてね。 
どうして、アジアの女の子の心を写した映画はないんだろう?
それは、今のわたしたちが作るため、
21世紀を生きるわたしたちが作るためではないのかな? 
映画の女の子
Girls of Cinema, Ū-ki Yamato

MY DOLL FILTER

ここで、少女がモノローグなどを言う40秒弱
ありきたりな情景に乗せる、ありきたりなノスタルジー
ダサい男、ダサくないふりをしている女
毎日会う他人と、会えない恋人と親
将来の不安、化粧直し、空、コンビニ、人間関係、靴底、9時、18時、23時
人混みに守られたエキストラ、都会の冬、わたし
自分を肯定できるほど生きてないし
強くも弱くもない
素直さすら嘲笑われて、恥をかくモラトリアムは君と同じ、テンプレート
素敵になってる愛すらも、未来を忘れるためのおままごと
圧倒的に足りない
許される、ある意味では正義
贅沢な孤独は付属品で美化されるルッキズム
アカウントは魔法
確認する顔
愛されるためにわたしは

無視される少女たちの履歴書
生きてるってことすらカルチャーの一部
カテゴライズされて、1人残らず消耗される
君が嫌いなものを好きなわたし
わたしが知らないものに熱狂する君
体の一部分の琴線をレイプされても、軽蔑には触れない
わたしたちの哲学なんて恋で変わるような薄っぺらいもの?
君の鈍感な幸せですら誰かの悪意で、わたしの欲望は強靭なお遊びなんだって
公共料金と住民税
奨学金を返済していくために自我なんていかに役に立たないかを思い知る
このままだとわたしたち、好きだったものも夢だった場所もつまらないしブスなわたしには似合わない
なんて思うようになる
夢は盲目で始まり、恥に終わる
漫画を読んでも小説を読んでも、これと同じ絶望は載っていなくて、気づいてしまったとき大きな何かを失う
なんてのは嫌だ

わたしたちは、まだ

わたしはまだ、自分を知らない


ただの日記

雪が降る夢を見た。
雪の粒はしっかりとしていて、わたしの住む街でもちゃんと積もりそうで、わたしは始終ひとりでウキウキしていた。この景色が恋文のかわりにならないかとスマホを向けた瞬間、夢から醒めた。

今日は給料をとりに職場へ向かったらタイミングが良く、わたしを含め4人で飲みに行くことになった。それぞれ色々なことを抱えていて、それぞれ大切にしているものが違って、それでも毎日生きてる。お酒を飲んでケラケラ笑って、こんなのがずっと続けばいいな、こんなのがずっと続けばいいのになと思った。

昨日の夜、急にテレビが壊れてしまい、一人暮らしの部屋にはもうわたしの声しかしなくなってしまった。テレビが直るまで一ヶ月以上かかるみたいで、もうずっと本を読むしかないなあ。友達とたくさん電話したいな、最近はほんとうに、人の声が聞きたい。

今年の冬も寒いのだろうけど、寒さをわたしはまだあまりよく把握出来ていない。寒いということが苦痛以外の何かに変化したからなのかも知れない。季節に置いていかれないように今夜からは毛布をひっぱりだして、湯たんぽを用意することにする。

毎日毎日、心の柔らかいところを撫でて、確かめて生きている。そうやって生きていないと、弱いわたしはすぐにあそこに戻ってしまうような気がするから。

一番消費されやすいところで消費されなかったらわたしの勝ちだ、わたしはそれを生きてみたい。来年から、一番消費されやすいところに飛び込んでいく。美しいものが見たくてわたしはずっと生きてきたよね。

雪が降ればいいと思う。
あの雪国のような雪が降ればいい。
雪がすべての音を吸収して、鳴るのはわたしの足音と風の音だけ。
その豊かさが、わたしは欲しい。