生根(しょうね)
気を抜くとすぐ、苦しいとか寂しいとかこんな自分で居たいだとか自分のことばかり考えてしまう。
どうであろうと自分自分言ってるやつは最悪だ。
自分の学習しなさ加減にほとほと嫌気がさすと、もうわたしの持つ欲求なんて「これ食いたい」「酒飲みたい」「眠い」程度に収縮してしまわないかなと思う。抱きしめて欲しいとか行かないでとか、何でもいいけど、そういった類の欲求がどんどんどんどん薄くなって、消えて、昇天して、わたしは本当にわたしのことなんかどうだって良くなる。わたしのことはどうでも良いので、大切にしたいと思うものに対して思いを巡らせることができる。上手に微笑むことができる。(心の底から)
そんなことを、はった湯のなかで考えていた。
わたしはドロドロした人間だからこそ、誰かと交わることでしか綺麗になれないというのに。
もっともっと強くなりたい、決して誰にも願われぬまま、わたしだけがわたしに対して強くなれと拳を握りしめて祈りつづけられますように。
いつまで余韻で生きてんの