コミュニケイション・バリア

真剣に放たれた言葉に対して可能な限り真剣に応えようとする人間ってすごく少ないみたい、わたしは流行り言葉が苦手でどうして苦手かって目の前に差し出された痛みや苦しみや喜びや尊厳を便利にしてしまうから、わたしの痛みを便利にしないでくれよ、それ全然便利じゃないから。
電車に乗ると身体を視姦してくる糞ジジィに精神が殺され、ただ立ってるだけなのに着ている最強の服を無理矢理脱がされ汚い指で乳を揉まれマンコに抜き挿しされ最終的に値踏みされる、この気持ち悪さが分かりますか分かんないっすよねーーーー、マジ二日に一遍はこんな思いをして勝手に殺される、視姦ジジィに遭うと最強の服もキラキラの瞼もサラサラの髪の毛も全部銀蝿を集らせる汚い公園の埃と小虫の死骸塗れの電灯と化し、わたしはジジィの仮想のザーメン塗れと化し、家に帰り誰の目にも晒されないところで膝を抱えて死にたくなる。わたしの最強なのに、わたしは最強なのに、勝手に汚さないで、わたしのこの爪に出来たささくれの一筋ですら、なにひとつお前の物として存在しているものは無い。この気持ち悪さ、生きづらさ、女として(男として)産まれたただそれだけで毎日毎分毎秒気が抜けないこの生き地獄、どうしたら伝わりますか、どうしたらすこしでも、女に(男に)寄り添おうと動けるんですか、こういう性被害に対する瞬発力って絶対問われるし、笑って遣り過すことじゃねえからマジで、必死で吐き気をこらえるわたしの横でギャグにしようとしてんじゃねえよ、わたしは最強だって思い出させてよ。

こんな世界じゃ優しい人は生きられないみたいなことを言って靖子ちゃんはTwitterをやめた。
わたしはやさしいひとになりたい、やさしいとは剥きだすことだから。