海が見たいとわたしは言った

わたしは明らかに人格のどこかが欠落しているという事をまざまざと見せ付けられた、どこまで惨め。傷付けられたからといって傷付けていいという事にはならないという当たり前のことに気付けなかった阿呆はわたしです、テメェは本当に一遍人を殺さなきゃ分かんねえのか。
放たれた言葉をそのままマルッと信じてしまうことはどうやら駄目らしい、それゆえにわたしが放った言葉を相手もその言葉通り信じてくれているだろうと思うことも駄目らしい。心の裏の裏の裏の裏をかいて人と接していかなければとかそういう事でもない筈で、これはきっと単純によく耳にする「思い遣り」というもの。思い遣り、思い遣り、思い遣り、思い遣りってなんですか?
最近本当に色んなことがどうでも良くて、21歳頃のわたしに戻りつつあった。普通が分かんないからずっとずっと普通になりたい。思えばわたしはずっと何かに復讐してここまで生きてきたみたいだ。きみの闘い方を教えて。