わたしの神さん

溺れるナイフ』を二回観た、叶うことならもっと観たい、永遠に観ていたい。二時間の中にはわたしの人生が在ったから、わたしはもう泣いて泣いて、音がきこえるほどに痛切に分かってしまう。わたしの神さん、わたしの神さん、わたしの神さん。わたしの神さんは死んでしまった。人間になってしまった。はなから人間だったのかも知れない、けれどあの頃のわたしにとって、きみは神さんだった。
現在生きている変わり続けているきみをわたしはもうずっと前から知らない。きみが生きる限りきみは変わり続け、どんどん神から遠ざかってゆくのだろう、それなのに、わたしの中から神としてのきみが消えない。きっと一生消えないのだ。もうあの頃のように人を愛することは出来ないのだという残酷な光をわたしは抱えて生きている。
「菜々子はわざわざ辛い方、辛い方へ生きている気がしていた」と言われた、なあ、お前は良かったなあ、お前は逃げ場があって良かったなあ、ふつうに幸せになれて良かったなあ、わたしにはなあ、逃げ場なんて一生無いんよ。神さんとしてのお前が消えんのよ、あの頃のお前とわたしを、わたしは絶対裏切れないんよ。わたしがどんどん、神さんになるしか生き延びる術は無かったから、わたしは逃げることなんて出来なかった。そもそも、わたしにはもう、逃げ方なんてとうに分からなくなってしまった。
この身ひとつでいちいち傷付いて最強になっていく、永遠に孤独のまま。永遠にわたしの神さんの背中を追いながら。分からなくていい、分かられて堪るか。あれは、あのすべては、わたしだけのもんだ。わたしだけの宝物だ。誰も触らないで。