5.7 私信

普通に正社員として週5で働きそこそこ稼いで生きなければと誰に課された訳でもないのに思い込んでいた時期があり、いざ仕事を始めてもどうしたって1時間に1度は逃げ出したくなっており、「どうして皆が出来てることがこんなにも難しいのか、わたしはマジで普通になりたいんだよ」と思って震える日々がわたしにもありました、ウケる。
結局職場がブラックだと判明し体調を壊しまくり辞めざるを得なくなり退職し、今では喫茶店とパブのアルバイトで生活しています。普通になりたくてもなれなかったから、もう社会的視点とか社会的常識とか一切合切うっちゃって自分の感覚の赴くままに生きたら、普通になりたいなんて思わなくなったし寧ろわたしは全然普通になった。まず社会に適合出来ない人間が社会を意識して生活する時点で無理なんですよ、気付くの遅過ぎ、ウケる。

お金が無い事に焦らなくなったし特に欲しい物も無いし(ごめん、CDと本は欲しい)大自然になれればそれで良いと本気で思っているんだけれど、消費=ステータスだと信じてる人に伝えても中々信じては貰えないし、魂も体力も物も金も消費することが幸せなのではと押し付けられ、その余りの差異に辟易してしまう。

学園時代は畜産にも園芸にも入らず大好きなまっつんと石鹸をこねくり回していたわたしですが、今なら俄然畜産したいし何なら牛のウンコ被っても爆笑してると思う、そしてきっと再び石鹸もこねくり回す。様々な生活を繰り返し、やっと自分が何に対して喜びを感じるのか分かってきました。
ずっと「わたしは擦り減らしながら生きていかないと命取られる人間だ」と何故か思い込んでいたが、そうでもなかった、死ななかった。案外死なない。何も考えなくとも好きなように生きてても許されてしまったしきっとわたしはずっと許されていた、神的なアレに。社会は知らん。

豪勢なディナーに連れて行かれるより、そこら辺で鳥が飛んでりゃわたしはもう嬉しい。みんなには足りなくても、わたしには足りてる。お気に入りの服はもう何着も持ってるし、好きな音楽だってもう知っている。みんなには足りなくても、わたしには足りてる、暫くは、やっと見付けることが出来たこの新しい生き方で生きていきたい。