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ペニー・レイン

もう十回以上観ているであろう『あの頃ペニー・レインと』をまた観ている。
思春期真っ盛りのときから何度も何度も繰り返し観ている映画は、ヴァージン・スーサイズあの頃ペニー・レインと17歳のカルテ、ベティ・ブルー。
ペニーの言った「どうして愛されないの」という魂からの呻きは脳内に焼き付きわたしの魂と共鳴し、わたしに恋人が出来ても愛されているという実感に包まれていても離れることがない。

愛する他者と自分の間に在る皮膚という壁ですら堪らなくなり耐えられなかったわたしが、諦めを学びはじめてしまっている。「どうせ分からないでしょ」という、擦り切れ果てた後に己を護るために作った膜のような感情とはまた違う、「あなたは他人なのですね」という自然の現実をすんなり自分に言い聞かせる仕草、穢いとは思わないけれども、何だかどうして哀しくなる。

愛している男にとって、わたしは愛した女の数人目であるという現実、わたしもまた、そうなのだ。
それなのに、どうしてこんなにも遣り切れない気持ちになるのだろう。
感情も思い出も過去も喜びもきらめきも視線も一番じゃないなら死んでると同義だと、わたしは今だって、どうしたって思ってしまう、あなたが愛した人だからきっと素敵な人だったのでしょうなんて、わたしはまだまだ思えません。
ダセェ恋愛してんじゃねえよ、愛してるだの大切だの綺麗なあなたを護りたいだの、臍で茶が湧くわ、最初から綺麗なことを言っておけば良かったなら、産まれた瞬間から穢かったわたしは、5歳かそこらで男を知ったわたしは、どうしたら良かったのですか。

わたしはきっと、揺るぎない存在への祈りから、まだ逃げている。