空港

試験で必要だから戸籍抄本を母親に頼んで役場から貰ってきてもらった。
何も考えずにそれをリビングのテーブル横で開いたら、そこにはわたしが知りたかったことが書かれていた。無機質で何の温度もにおいも感じないワープロの字は黒くて、こんな容易く知れてしまうんだという事実に、台所のシンクに立つ鋭い母親の背中を見詰めていた小さなわたしがくらくらした。

古河市で産まれた藤澤菜々子
届けたのは父親、それは産まれてから5日後のこと
福島菜々子になったのは2歳と6ヶ月とすこしのとき福島菜々子になったのはわたしのだいすきな恋人の産まれた日

わたしがこの田舎町に来る道中に車のなかで抱いていた感情「もうおばあちゃんのとこには戻れないのかも」と未だに焼き付いている窓から見たあの一瞬の景色は「お父さんだよ」と嬉し恥ずかしそうな母親の声は砂利の上に車を停めたことや知らない男の子は2歳のときの記憶なのだとわかった。

2歳だった。
おとうさん、おとうさんはその時何歳でしたか。おとうさんあなたは今でも生きていますか。わたし、あなたの事、何ひとつ憶えちゃいないんです。おとうさん、わたし、あなたに対して抱いている感情が未だにわからないんです。
パパ、パパ、パパ、パパ、パパの顔は忘れちゃったよ。

祖父の葬式のとき偶然奇跡的に発見した、隠され続け無いことにされていた父親の写真。
柔道着を着て海辺でポーズをとる父。
まだ赤ん坊だったわたしをお風呂に入れる父。
そして、父の肩に手を添え、ふたりで写真に写る母と父の姿。
母はとても可愛らしい表情だった。母親ではなく、ひとりの女性だった。
初めて父親の顔を見たのはそれらの写真の中だった。その時爆発した感情が何なのかいまだってわからない。ただひとつわかったことは、わたしは泣きたかったんだという事。

母親は、母親である以前にわたしと同じひとりの女だ。そしてきっとわたし以上に女であり、満たされなかった子供だ。
わたしは母親をあの春諦めた。母親に、理想の母親像を求めてしまうことも、母親を抱き締めようともがき苦しむことも、理解し合おうとすることも、彼女について想像し続けることも、愛して欲しいと願うことも。
わたしはもう、憎しみの権化ではない。しかし、彼女を自分の柔らかいところに入れて、その痛みすら抱き締めようともしていない。母親の棘に刺されたとき、過去の傷がパキッと音を立てて開いたとき、わたしは泣いたり沢山煙草を吸ったり、虚無感に襲われたりする。ただ、母親に愛されることを、自分の望む形の愛を求めることを諦められなかった頃のわたしのように毎回毎回飽きもせず死んじまいたくなったり自分ですら制御出来ないような激しい感情に突き動かされたりどこかしらを切り刻んだりはしなくなった。

おかあさん、も、かぞく、も、おとうさん、も、きょうだい、も、わからない。
食卓を、わたしは知らない。
あまいお菓子のにおいを、わたしは知らない。
おかあさんのにおいは、もうとうに忘れてしまった。

からだがとても小さかった頃の記憶を引っ張りだすと、それは白い光に包まれている。
母はわたしに、散歩をしながらたくさんの花の名前を教えてくれた。
動物が如何にやさしく賢い生き物なのか教えてくれた。
様々な虫の名前を教えてくれた「あれがちょうちょ」。
真っ裸で林檎を齧るわたしのことを可愛い可愛いと言ってはおおきく笑いながら写真に収めた。
幼稚園に行く前にわたしの長い髪の毛を黄色いボンボンで結ってくれた。

おかあさん、どうしてわたしのからだが大きくなってしまったら、わたしに死ぬことを要求し始めたんですか。わたしの成長を憎むかの如く、どうしてわたしを否定し続けたのですか。
ねぇ、おかあさん、あなたは大きくなったわたしにあなたの親になって欲しかったんじゃないですか。あなたも、わたしの父親である彼も、もしかして目隠しをしたまま産まれてきたんじゃないですか。
あなたがお饅頭を食べきれないと小さな子供のように駄々をこねてわたしに半分食べることを求めてきたとき、わたしの目に写るあなたはまるで小さな子供だったよ。





「また彼が酔っ払って帰って来た。彼がいつものように暴れ、電燈が割れた。私は菜々子を抱き抱えて守っていた。彼が私の首を絞めた時、それまでずっと泣き喚いていた菜々子は糸が切れたかのように泣き止んだ」


お願いします、まだ死なないで。