ゲリラ豪雨武蔵小山

すっぽかしを一日に二度も経験し、信じられない思いで武蔵小山の薄暗い喫茶店によろよろしながら入った。その喫茶店はどでかいタワーのようなパフェがウリらしいが、一番安いメロンソーダを飲む。削れ切った五臓六腑にパフェなんてブチ込んだら迷わず吐くだろう。店に入ると店員が入り口付近で客に対しレジ打ちをしており、わたしに「勝手に座って」というような内容のことを言ったのだがブツブツしていて何と言ったのかいまいち分からず、料理を作っているおばちゃんに「座ってもいいですか」と訊いた。普段のわたしだったら構わずズンズン進んでどしりと座りぷは〜と煙草を吸うが、あまりにも削れ切っていたわたしは他者の承認が欲しかった。わたし居るんかな?というぼんやりと浮いたこの感覚を捉えて地に戻して欲しかった。おばちゃんは3回目の「済みません」でわたしの存在に気付き、「ア、ドゾ」と言った。

 金銭面でも助けてくれていたあの人に対してわたしは何てことを望んで抱いていたのだろうと、電車の中で脳天を本当に痛めながら己に激昂した。わたしだけを、とか、哀しい酷いとか、信じられなくなってしまうなんてお前の言えた台詞か。ふざけるな、どんだけ自分本位なんだ、傷付いたみたいなツラ引っ提げやがって。一丁前に泣いたりしやがって。 わたしが感じていたことは全部たぶんあのひとも感じていたことだし、わたしが感じていたことの裏側を引っぺがせば「あのひと」という人格がごろっと存在していた。わたしの中には呆れるくらいわたししか居なかった。 
自分の感覚がズレている事をひしひしと感じる。どうしてわたしはここまで狂ってしまえるのか。「もう僕ではどうにも出来ないレベルだ」。わたしでさえわたしをどうにか出来ない。でも、わたしを監視するのはわたししか居ないのだ。 

昨日友達のKと居酒屋でデモの話をしたとき「俺のような貧乏のワープアは余裕が無い。余裕が無いと自分の生活でいっぱいいっぱいになってしまって、社会や政治の事を考えられない。本来デモとはそんな俺らの為のもんなのに。だから、そんなカッコ悪い俺のようなやつの為にも、頑張って欲しい」ということをKが言っていた。 

もう、落ちるとこまで落ちてみようと思う。目指すは売れないバンドマンで、腹が減りすぎて道端の雑草を喰ってしまうところまで行きたい。そこまで行けたら、わたしはもう怖くないと思う。