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かつて、身を切るようにしてまで綴ってきた行為からすこし遠くに来たのだと思った。

わたしにはこれしかないんだと、唇を噛み締めながらずっと縋るように、探るように、時には衝動として、時には抜き差しならない静かな真実として、ずっと誰に話すでもない言葉を綴ってきた。

わたしの生肉に存在し、器官を通して発せられる言葉たち。
一体、どれだけのものを傷付けたのだろう。きっと、わたしの言葉にはある種の力がある。
力を持つということは、徹底して自己を監視するということだ。監視することを忘れたわたしは人を殴りつけ切りつけ、それを恐れた監視するわたしは言葉を使うことがほんの少しだけ怖くなる。

湿り気を帯び、本当に刺すべきもの以外すら刺してしまう武器ではなく、乾いた武器を持ちたい、愛するものの尊厳が踏みにじられたときに本当の意味で闘えるように という祈りのような決意は、まだ産まれたばかりだ。

わたしはもう、言葉を自分以外の誰かへ向かって発しようとしているのだと思う。それはきっと、あるかどうかも分からない光へ向かって暗闇のなかで手を伸ばしたときの、その光になり得るだろう。

わたしが産んだ、わたしだけの血だらけの光。

悼み


視界に飛び込んできた液晶から映る言葉は相変わらず彼の愚かさを露呈させたものだった。

わたしの名前が三回目に変わった日。

脳裏にまず浮かんだのは、昼間の白い光のなかで笑うわたしだった。
強いお酒を飲まないと眠れなくなって毎日酷いクマを目の下に浮かべて自失しているわたしでも、吐くまで泣きじゃくっていたわたしでもなく、痛む胸を引き摺りながら、あの坂道を登ってヘラヘラ笑っておどけて見せるあの頃のわたしだった。

「頑張ったね、辛かったね、痛かったね、ずっと欲しかったね、誰よりも一番、わたしがそれを欲しかったよね、もう大丈夫だよ、もう欲しがらなくていいんだよ」
そう言ってわたしはわたしを抱きしめて泣いて泣いて泣いて泣いた。

わたしの左腕には、きっと一生消えないであろう傷が残っている。
「わたしは物ではなく、切れば血が出る肉だ」という表明として、最後に残された手段として宿った傷だ。
やっと、この傷の愛しかたが分かった気がする。

誰も知らないわたし、誰にもあげないわたし、消したい過去がわたし、汚れちゃったわたしのキスでわたしが目を覚ます。

わたしの中に生まれたあの頃のわたしの墓石は、無敵だよって言うように白く光っている。

雪が降っていたのだ


たまには変えてみよう、と思い眠りにつく前に変更したアラーム音で目覚め、異様な身体の怠さと疲労と眠気を感じバイトへ行くことが出来なかった。
わたしは未だに普通に決められた通り働くことが難しくてしょうがない。
こんなんで今度、生きていけるのでしょうか。
「人生はリセット出来ないなんて言われているけれど、出来るんだよ」と友達は言っていた。彼が言うのなら、きっと出来るのだろう。よく分からない社会の言葉より、感覚に信頼をおいている彼の言葉を信じたい、それが普通にバイトへ行けないわたしが手に取れる選択の精一杯だ。

「あなたの呪いが解けて良かった」というようなことを手紙に書く。
呪いは呪いではなく降りつもる雪だ、雪、雪が降っていたのだ、呪いだと思っていたものは光であり、「こっちへ来いよ、楽しいぜ?」と語りかける。
ということが書かれていたのに、どうしてわたしは「解かれた」などと返事をしてしまったのだろう。
どこから、どこまで、惚けるつもりなのだと、やけにカラカラと音の鳴る重い頭を引き摺って今日も何も成さずに帰路へ着く。

生殺しにされていた時期と同じような体調の不良が現れている。
このままの生きかたをしていたら、きっとわたしはいつか限界が訪れ逃げることも出来なくなるのだろう。わたしはやはり、何かひとつの具体的な事象へ向かって走り抜けるようなことが出来ない人間なのだとまざまざと見せつけられてしまった。

頭がふたつあって悩む、それぞれに違う主張をしている、体を真っ二つに分けて、それぞれが違うほうへ行きたい、やっと呪文を見つけ出す、ドロシーがオズでしてきた冒険も全部0へ戻していきます、望みと違う、好みと違う、望みと違う、好みと違う、面白いんじゃない?面白いんじゃない?

水のようだ

わたしの傍らに(いつまでかは不明だが)留まるひとなのか、わたしの身をすり抜けていくだけのひとなのか、その判別が。もう分かってしまう、分かるようになってきた、未だ具現化されていない期待へ胸を膨らませ黄色い声をあげることを、わたしはもうしない。

あれだけ肌を重ねた相手なのに、彼らの顔が思い出せない。声も再現することが出来ない。思い出せるのは、よれていた襟の形とか、頸の骨の具合だけ。どうやらわたしは、視覚で物事を捉えようとしていないらしく、触覚だけはだらしないまま鋭くなる。

ちゃんと人を見ていないのは、わたしも同じだ。

こんなにも、焼き付かすものを持たないわたしはきっと巧くやれるだろう。

「使い捨ての僕の閃きを突き刺して死にたい」

あんなにも、肉体の一部がもがれたような痛みを感じた夜を何度も繰り返したのに、ふと擡げる首を上げて空を見れば雲は薄ピンクに染められ風の先端はまるくなっていた、春だった。

わたしが透明になれば、わたしがわたしじゃなくなれば、いや、わたしがもっと強くなれば、外に出てひとと出会うことが出来る。

透明な銃を放つ自由をまだまだ忘れてしまう、乾いた武器をまだまだ手に出来ていないわたしは新しい季節に怯える。
何かが生まれるときは、いつだって呆れるくらい痛い。

「新作とかもう出なきゃいいのに変わらない」
Wi-Fi飛んでない場所なら帰りたい、隣で寝てくれないのならもう要らない、コンビニで一番高いアイスでエロいことしようよ、やっと創り上げたわたしの世界はまた掻き消されて、昨日のことは憶えていないふりだけ達者になる、使い捨てのわたしの閃きを突き刺して死にたい、護れなかった自分なんて突き刺した順に死ね、アンダーグラウンドは東京にしか無いんだし、サブカルにすらなれなかった音楽のことをあなたは知っていますか?もっともっと、気持ち悪くて、気持ちいい世界があるはずでしょう。



わたしたちは、まだまだ死ねないね



生きてゆく

生きてるって超切なくて、全然おしゃれじゃなくて、ちゃんと痛かった

眼から下を隠せば裸で生きてるってことバレないから楽勝

きみがわたしの居ないところで酷いこと言ってたのちゃんと知ってるよ

わたしの特別は教えない、毎日毎日がギラギラして、瘴気立ち込める地獄のなかで立ち上がって生きてることの美しさをきっときみは知りたくもないのだろうから


本当はもっと綺麗で、愛してて、大好きなものがあったよ

わたしたちは、生きていて、ダンスフロアの光の真ん中に行けないような膝を抱えて暗闇のなかで夜な夜な泣いている

そんなわたしたちが、物にされて、簡単にされて、便利にされて、記号にされて、穴にされて、まわされる

経験あるから大したことないでしょうなんて言われちゃったね、体にいくら触れられても、毎回毎回死ぬ思いで愛するひとを抱いている切実な真実にはずっとずっと触れられない


わたしたちの傷は凶器と揶揄され、知らないひとの傷は守られる世界

ちゃんと生きてる、ちゃんと生きてきたから、痛くて痛くて、自分以外のすべてが愛おしくてたまらない

体の一部がもがれたような痛みを感じたのはわたしだけの子供、わたしはそれの母親

たくさんの痛みを宿し、あるかどうかもわからない光を産むためにまだ死なない

ざまあみろって言うまでまだ死ねない


女達は叫ぶ

わたしはわたしよ、心があるもの

Girls Of Cinema


Girls of Cinema ep.0 /日本語訳
さあ東京、新宿の街。
どうする?
何か映画観る?
観ないよ、観るわけ無いじゃん。
どうしてって思っちゃうよ。
こんなに映画があるのに、東京でかかってる映画はつまんない。
どうして、アジアの女の子の心を写した映画はないんだろう? 
アメリカやヨーロッパの女の子は、やっぱり解放されてて格好良い。
西洋の映画を観る度に、それを実感する。
実際、アジアは異を唱えたりする文化じゃない、同調圧力の文化だよ。
なにかを勝ち取って来た歴史もなくて。
そう言うコンプレックスをくだらないとも思うけれど、だって実際問題遅れているんだよね、西洋の神話は更新されても、東洋は置いてきぼり。
今わたしたちの目の前にある、女の子のための映画は、
女の子を馬鹿にしたような映画ばかり。
それは、女の子の知性を前提にした社会に生きていないから。 
女の子が意見を言うってことは、自殺するってことなんだ。 「我が強い」とか言われるよ。
でも、だって当然だよ我はあるよ、
わたしは、わたしとして生まれて来たんだもの。 
それでも西洋の映画を見ても、そこには自分の心はない。
私たちの社会におけるキスはもっと恥ずかしくて、
男の子を、あんなふうにくどいたりしたら淫乱だ。
どうしても、自立することの後ろめたさがある、儒教社会の抑圧のもとに。 
一体どんな芸術なら、わたしたちの心は満たされるのだろうか。
今こんなに渇望があって、こんなに行く宛がないのに。
アジアでいちばんイケてるってはずの東京には、何もない。 
田舎も東京も変わらなかった、
日本は辺境の土地で、つまんない、つまんない場所ですよ。
もっとはち切れそうなのに、新宿でも渋谷でもいつもダサい。
ほんとうの女の子の心は、絶対に街頭ビジョンに載らないようにできている。
いつまで女の子は男の子のために笑顔で踊り続けるの、
古来の村の掟を守り続けているんだね。
男の子だって、そんな女の子が見たいわけじゃないでしょ?
もう飽き飽きしてるはずだよ、君だって絶対に。 
じぶんのために、踊りたいって願う女の子には、踊る場所がない。
じぶんの命を輝かせたい女の子のステージは、どこなんだろう。
一体どこで輝いたなら、カメラはわたしをおさめてくれるのでしょうか。
つまらない、つまらないよ東京は。
香港も、台湾も、ソウルも北京もきっとつまらないね。
いつも足りない。
いつも足りないアジアの女の子。
どこに命を注げば良いのかわからない、アジアの女の子。
鮮やかに生きてみたいアジアの女の子。
どこで踊れば良いのかわからない、アジアの女の子。
輝きたいのに、暗闇の中でうずくまる、アジアの女の子。 
映画に、わたしたちの孤独を救えるわけがない。
これまで映画が、わたしたちの孤独を、一回でも捉えた事があったのだろうか? 
ー …星々…
でも全員がだめだった、アジアは秘境、
神秘の森の中に生きる女の子の心を、誰一人捉えてこなかった。 
どうして、アジアの女の子の心を写した映画はないんだろう? 
溺れるナイフは60万人を動員し、興収は7億円を突破した。
20代では日本人女性初だって。
でも、そんなの、なんにもなかったなあ。
殴られて、心を殺されて、どうしてあんなことしちゃったのかな。
映画をつくることが闘いでしかないのなら、
きっと女の子は映画をつくると死ぬ。
孤独は深まるばかりで、孤独の遣い道すらない。
女の子と映画は離ればなれになる運命なんだろう。
…さよなら 映画の神様…
もしも、人間の可能性として、
女の子として生まれて、
女の子のままで、映画を撮れないのかな。
この孤独に遣い道があったら良いのにな。
ああ、だれかのために映画を撮りたいな。
願わくば、同じ孤独を生きる、たったひとりの女の子のために。
きっと毎晩同じ夢を見ている、同じ涙を流している、
アジアの女の子のために、わたしは映画を撮りたいな。
そうじゃなかったら、たった今このわたしが、
こんなつまらない場所に生きるわたしが、
映画を撮る意味なんてないんじゃないのかな。
だれでも良いじゃんと思う。
でもね、アジアの女の子のために映画を撮るなら、
絶対にわたしだと思う。
この場所のつまらなさが、誰よりもよくわかります。
21世紀の東京に、わたしが居ます。
映画の神様、わたしを見つけてください。 
みんな面白いって言うんだよ、リアルな女の子の出て来ない映画。
こんなんじゃ、ぜんぜん満たされないの。
わたしがこの街を破壊するところを、カメラよ永遠におさめていてね。 
どうして、アジアの女の子の心を写した映画はないんだろう?
それは、今のわたしたちが作るため、
21世紀を生きるわたしたちが作るためではないのかな? 
映画の女の子
Girls of Cinema, Ū-ki Yamato