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君に届くな・山戸結希監督 ポレポレ東中野上映に寄せて

わたしがどれだけ綴ろうと、インターネットの海に投げようと、きっと一生届かないのであろう傲慢で、業が深くて、頭がおかしくて、どう足掻いても一方的な恋文が、わたしを何度も救った映画を撮った山戸結希監督が見付けた、こんな言葉は絶対に彼に届いてはいけない、誰にも届くな、わたしだけのもんだと握り締めていた言葉を彼女は見付けた。
彼女の映画を初めて観たときも次回作を観たときも「どうして分かるんですか、どうして分かってしまうんですか、わたしだけだと思ってたのに、あれは 彼とわたし ではなく、永遠に"わたしだけ"だと思ってたのに、どうして分かってしまうんですか」と、スクリーンの向うの彼女にわたしは投げた。
彼女に見付けられた恋文ふたつは水を得た魚のように、溺れるナイフで海を揺蕩うコウちゃんのように泳ぎ出した。ずっとこうして欲しかったとわたしに言った。
わたしは憶えてる、全部全部憶えてる、全てを凍て尽くす真っ白な雪の中あなたの緑色の瞳の奥が底無しに暗く沈んだこと、机の上に伏して安心した赤子のように長い睫毛をとじたこと、一生で最後の繋がりの時に夕空がこの世の終わりのように紅く燃えていたこと、無邪気な子供のように朝ごはんをわたしに訊く笑いがおと跳ねる声、あなたが笑ったとき、世界が黄金に輝いて光の粒子が見えたこと、あの時のわたしたちは、無力で、残酷な過去は変わらずそこに居て、幼くて、自然と笑うこともよく分からなくて、あの自然を全て好きに遊んでいい神様だった。わたしは全部憶えてるよ、死ぬまで憶えてる、どんな死に様を迎えようとも、ずっとずっと憶えてる。あなたが憶えていなくてもいい、はやく忘れて、心の底から擦り切れるほどしあわせになって欲しい、わたしの今までの楽しかったことしあわせだったこと全部あげるから、全部全部あげるから、生きて生きて、生きてください。

「こうして食べて、生きて、こころが膨張して なにかが削られて 気持ち悪い その全てを 全世界にぶち撒けたい私の全てを
君にだけは届けたくないほど  君が好き」

マジックミラー

流行りの音楽じゃ踊れないし、夜じゃなきゃバイトも出来ないし、死ねとか嫌いとかちゃんと言っちゃうし、社会にはまだまだまだまだ適応出来ないし、気付けばお金は減ってるし、自分のことにしか興味がわかないし、周りを見渡せばつまらん馬鹿ばっかだし、女に男に産まれたというだけで毎日気が抜けないね。
仕事を手にしたと思ったらすぐ逃亡したくなっちゃうし、逃亡するにはお金がかかるし、野垂れ死ぬには根性が足りないし、毎日8時間働くことが嫌でしょうがない。
子供のころになりたかった野球選手もお笑い芸人もアイドルもケーキ屋さんも全部全部結局なれなかった夢だった、毎日いいにおいがしてそうな他人のSNSを薄目を開けて盗み見ては煙草ばかりが減っていく。
誰のことも愛しちゃいないのに寂しくて寂しくて仕方がないね、セックスしたからといって寂しさなんか無くならないし下手したらもっとどん底になるって頭のどこかで分かっていても夜中メールで届く脆い脆い「好き」だけで取り敢えず明日だけはやっていける気がするんでしょう。
どうせ身体を重ねるなら可愛くて情けなくて苦くてやるせなくて甘いのがいいね、気持ち悪くないと気持ち良くなれない、生きてるだけではイケない、もっともっと気持ち悪くなればいい、わたしの前だけでは気持ち悪くなればいい。
お母さんもお父さんもよく知らなくて優しい当たり前のお兄ちゃんなんて以ての外、女になるのが早かった、大人になるのが早かった、そうしないと机の下で黙れの合図に脚を蹴られてしまうから、そうしないとボコボコに殴られてしまうから、大人になるしかなかったね、大好きな人達を描いた絵はビリビリに破られて、弱くそれでも僅かに光るしあわせの証だった絵筆はバキバキに折られて、それから絵が描けなくなっちゃった。

好きな歌をライブでやってくれたから死ねる。きみもこうやって生きてきたんでしょ。

いいコになんかなるなよ

あまりの働けなさと適応出来なさから社会の輪から早々にしてドロップアウトしたわたしはあまりの金の無さに友達から米や野菜をたまに送ってもらったり、道端で十円玉を拾ったり、男にメシを奢ってもらったりして生きてる、今日なんて23年間の人生で初めて友達から金を借りた。
二週間前くらいから突如として何の前触れもなく蕁麻疹が勃発し、それもまだ治らないし何なら薄汚い跡を残していくのだが、それから察するにそろそろ年齢というものがわたしにのしかかり始めている。ということは、だ。そろそろ正社員として社保完備昇級有のところで働かねば色々と生き延びにくくなる。
それでも全然働きたくない、毎日朝から17時まで働くことが嫌でしょうがない、毎朝7時起きだと鬱になる。
友達や愛する男が過酷な労働を強いられているとあなたが勿体無いので辞めてくださいと本気で言ってしまう。
そんなことに対しての感受性を出来るだけマグロにするよう努めているので、今日も今日とてそこまで不安にならずに生ぬるいなかピーズを聴いたら「いいコになんかなるなよ、いいコになんかなるな、傷ついたって嘘だよ、頑張ったって無理だ、いいコになんかなるな、君はカスだよ、かなりカスだよ、どうせカスだろ、かなりカスだろう」と聴こえてきて、そうだよね、気持ち良けりゃいい。

Iso phase

彼とよく待ち合わせた場所は、渋谷にある古い名曲喫茶だった。
店内はいつも仄暗く、そこそこ大きな音量のクラシック音楽が空間を充たしていて、かしましいおしゃべりは禁止のところだったから、彼とわたしはいつだって会うやいなや筆談を繰り広げていた。
それでも彼は普段から口数が少なく、言葉よりも皮膚で何かを語ろうとするひとだったので、紙や携帯を埋める文字は少ない方だったと思う。言葉数の少ない彼が使う少ない言葉たちはいつだって思慮深さと文化資本の高さを匂わせていた、わたしがよくつく下品なジョークに対しては子供のような顔をして嬉しそうにくつくつと笑った。
彼の声は木管楽器のようだった、空気を破ることなく周りの空気を震わせる。わたしはそんな声を愛していた、どれだけ残酷なことを告げられようともわたしは皮膚を泡立たせながらその声だけはずっと愛していた。
彼は自分の選択により欲しいものをいくつか抱えることにした、その欲しいものたちが相反するものだとしても。その選択により、彼は抱えてきたもの全てを失い、遠くへ行くことにした。遠くへ行けば、存在を薄められると思ったのだろう。祈りのようだとわたしは思った。

瞳に湛える輝きや凛と上を向いた美しい骨格の鼻筋、長く震える睫毛などから、一見知性に富んだ人物だと思いきやその実まったくそうではなく、文化的趣向や己の脆弱さと間向う強さなど全く持っていないひと。とてもとても、浅くつまらないひと。瞳から始まる恋を知らないひと。己の欲望を埋めることと存在を誇示することだけに躍起になり、真摯に見詰めれば見詰めるほどなにも存在しない空っぽのひと。背中に刻まれた模様がほんとうに美しいひと。
まるで天使みたいなひと。

あまりにも美しい口上筆記(ラジオ)

「結論を先に言おう。驚くことに、だ。愛に飢える必要も、愛を諦める必要も、愛を恥ずべき必要も、愛を憎む必要も、あなたには最初から、全くない。

AMラジオのパーソナリティーを始めて二年を過ぎるまでの間に、僕は様々なことを知った。物知りになるのは悪い気分じゃない。でもそこには、常に知りたくもないことまでが含まれている。この国の国民がこれほどまでに恋愛に飢え、恋なんてしてないさと信じ込んでる奴さえがあらゆる形で恋に飢え、ほとんどの精神生活を恋と恋の妄想に費やし、あらゆるジャンキーがそうであるように、依存の後遺症によって一歩も動けなくなってることがその一つだった。ソウルバーでこんなことを言うのはちょっと大胆だが、はっきり言おう。ハンドルを右に切って、恋なんてやめちまえ。全ての妬みの根源、愛への全ての障壁はそこにある。

僕には二十世紀、ものすごい可愛い恋人がいた。どのくらい可愛いかといえば、デートして一緒に歩いていてもナンパと水商売の勧誘が全く止まらず、五メートル進むのに一時間もかかるので、デートにならないのだった。ある日など、公園のベンチでキスしていたらナンパされた。瞳孔を完全に開かせて彼女に愛の言葉を捧げる男に対して、僕はこう言うしかなかった。「あのさ俺たち今キスしてんだけど」でも彼には全く聞こえなかった。僕が言うより一瞬早く、彼女は僕が言おうとしていることを言った。「気持ちはわかるわ、じゃあね」再びキスしながら歩き去る僕らに対して、彼がとった行動を想像できるだろうか。十メートル歩いて振り返ったら、彼はなんと、オーアールズィー、その場でひざまずき、涙を拭っていたのである。懺悔する南部の労働者のように。

そして、彼女は完全に頭がおかしかった。美しいものを妬んでそれでよしとしている人間はお気楽だ。まずは父親の視線がおかしくなる。やがて彼女のパパは、風呂に入っていると必要以上に体を洗いに来た。母親は嫌味以外何も言わなくなり、やがてにらみつけるだけになった。どこに行っても男たちに欲情され、女たちにいじめられた。死んだネズミを口の中に入れられたことさえある。フェラチオするとき彼女は、必ずその話をしてからした。心の中で僕はこう言った。愛を。

だが、僕の祈りもむなしく彼女は体のあらゆる部分をカッターで切るようになり、僕と別れ、ノルウェーの精神病院に入った。彼女に言いたかった。寒い国なんかに行くな、亜熱帯を目指せ。彼女だけじゃない、傷だらけの美しいものたち全員に僕は言いたい。亜熱帯を目指せ、亜熱帯を目指してくれ。この曲のように。亜熱帯を目指すんだ。この不細工なソウルシンガーのように。

リトル・ビーバーことウィリアム・ヘイルは、第二次世界大戦終結と共にアーカンソー州で生まれ、十代でマイアミに移住した。そして様々な経験ののち、一九七五年にはマイアミソウルの最高傑作と言われるこの『パーティー・ダウン』をドロップする。ここでリトル・ビーバーは、ジョージ・ベンソンの『ブリージン』よりも一年早くギターとスキャットのユニゾンを披露し、リズムボックスとの共演をマイアミで果たしている。パーティー・ダウン、TBS以外でお聞きの皆さん、お名残り惜しや、ここでお別れです。

あまりの名残り惜しさからソウルバーでのタブーをちょっとだけおかすことにしよう。ソウルバーでは良い曲が終わると、どんなにもう一度聞きたいと思っても次の曲が始まり、人生が進む。皆さんがもう一度お聞きの曲はリトル・ビーバー、そしてマイアミソウルの最高傑作『パーティー・ダウン』
異常気象によってまだ寒さに震えている人たちに夏の先取りを。五十年後この国は、タイやチェンマイと同じ気象になると予想されている。トロピカルカクテルで祝おう。僕らが暑く長い夜の住民になることを。」

皮膚

夏に始まって夏が終わるころに終わった愛を皮切りにして、わたしの中の恋慕が枯渇した、どうやら途方もない行く末にすべてを出し尽くしたみたいです。
誰をもわたしの琴線には触れず、傷を傷以外のなにかに変えるちからも持たず、わたしはただ変わり映えのない、時にはとても楽しく時にはすこしだけ憂鬱な平和な日々を遣り過ごしながら肉体を己のものとやっと自覚し、その自覚も手伝ってかその瞬間瞬間に生まれた欲望のみを真っ当に充し、対象を持たない寂しさにも襲われず、愛するひとを持たずに生きている。

あの夏のにおいや温度や触り心地が蘇る、柔らかい声が蘇る、こんなにも容易くわたしの琴線は再び震えた、わたしはどうしてこんなにも容易い。
傷を傷とも認識せずに自然と愛おしんでしまうあなたは何て狡く美しいのだろう、決してわたしのものにはならないのだからわたしは再び震えた琴線を見なかったことにして今日も変わり映えのない生活を再びはじめる。
思い出すことはいけない、思い出さない。

まち

我が生活拠点の町に澁谷くんが訪れたのは二回目で、一回目同様にこの町のことを賞賛していた。
"生活の町"といった具合に田舎なところなので空が広く樹々が多く、それも中々に彫刻性を持った樹ばかりで空はよく見えるし団地もあるし夕方にはちゃんと知らない家から夕餉のかおりがする、田舎だから謎の空き地が出現したり、立派な鯉が泳いでいる川があったり、わたしのアパートの近くには山があったり、いつも同じ時間、同じ場所に礼儀正しくじっと座ってる猫も居る。
この町の良さはわたし自身も感じてるはずなのに、何も分からないふりしてどこが良いのか何度か訊く、そうやって、他人の視点に潜り込む。そういうことを試みる節がわたしにはあって、面倒臭え〜と我ながら感じる。
この町の何がどう良いのか訊いたら、澁谷は「ロケーショナル」と言っていた。